よくあるかもしれないけどないかもしれない

基本的には思ったことを書くだけのブログ

センスのない善意ほど怖いものはない、という話。

結果よりも過程に感情移入する人々

なんか震災で千羽鶴騒動があったり、不謹慎狩りとかの話があったんでこれトップに置いときますね。(16.04.27)


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小田嶋先生のコラムは僕は大好きで毎週金曜日の掲載を楽しみにしているのだが、今回ほど快哉を叫びたくなる記事は久々だ。

僕はこの手の違和感に小学校の頃からずっと悩まされていた。

「ベルマーク集めは確かに効率の良くない作業だけど、あの運動を通じて培われる一体感と教育効果は、決して無駄にはならない」
「ほら、一隅を照らすっていうじゃないですか」
「そうそう。貧者の一灯っていう言葉もありますしね」
「PTAのお母さんたちが、個々の家庭の事情や貧富の格差を超えて、あのとてつもなくチマチマとした面倒くさい作業のために協働することが、PTAという組織の強化にどれだけ貢献したのかという、そこのところを考えなければいけません」
「そうですとも、奉仕は、おカネやモノじゃなくて、何より一人ひとりの人間のかけがえのない勤労を捧げるのが本筋ですよ」

これ。まさにこれ。

動機が正しければ結果はどうでもいいのだろうか。どう考えてもそれは「やらなかった方が」みな幸せになったのではないか。むしろ、それをやったことによって「誰か幸せになったのだろうか」。否、幸せになった人はいる。それは「それを成し遂げた人」である。たいていの場合において、こうした過程にしか注目しない催し物は「それを成し遂げた人」がくだらない自己満足を得て終わる。そしてやられた方はプラマイゼロならまだしも、マイナスになることもしばしばである。

こんなのもある。

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校長のコメントが大ボケで笑える。ボランティアの意味をわかってんのか?

このニュースは今でも吐き気を覚える。この「ボランティア委員会」なるものの思考方法は手に取るようにわかるのだが、ボランティア=いいこと=みんなやるべき、となって「全生徒強制」となったのだろう。企画した生徒も頭がおかしいが、それを認める学校と張り出した教師もすべてが異常者という類稀なる例であろう。しかし、この手の批判を加えると、必ず「向こう岸」にいる人から猛烈に感情的(今風にいうとエモーショナル)な批判が返ってくる。

「どうしていいことしているのにそんな冷めるようなこと言うんだよ!!」

この手の人は残念ながらこの国に大多数いる。「がんばったから」「いいことだから」「素敵やん?*1」の一言ですべてが帳消しになる。そしてちょっとした涙があればもう誰も結果を見ていない。誰も「いいこととはどういうことか」を考えようとしない。こういった考えが支配的な国においてボランティア活動など本当はすべきではない。なぜならこのようにボランティア精神を間違った形で解釈する輩がうようよ出現するからだ。

そして昨年のこれである。

diamond.jp

はっきり言おう。全く美談でもなんでもない。むしろ本人と部員と周囲の大人の見識を疑うレベルである。賛成する人はどういうロジックでこの件に賛成しているのだろうか。

おにぎり20,000個作ることが「本当に勝利への架け橋」なのか?こう問うと

「おにぎりのおかげで勇気づけられた」

「本人がよいと思ってやっているからいいんだ」

「美しいじゃないか」

的な感情的な反論がくる。こんなものは全く意味をなしていなくて、どう考えても2万個のおにぎりが甲子園での勝利に直結するなど、風が吹けば桶屋が儲かる程度の話であり、論理的に実証はできない。ではそれ以外やることはなかったのか?考えた結果がそれなのか??もし僕がこのような結論を聞かされたら大いに落胆をして「もうちょっと考えてみないか」と優しく促すであろう。

しかし、しかしだ。運動部、しかも戦前のまま時が止まっているシーラカンスのような生きる化石である日本の運動部(特に最も酷い甲子園出場校の野球部)に所属しているわけである。マネージャーがそのような考えに至るまでに洗脳されていたとしてもおかしくない。だからこそ、ここでの最大の異常者は周囲の大人であると言っておきたい。

監督も、その他の先生も、「おにぎりはこれ(ポケットマネー)で買ってきていいから、君はこのチームがさらに強くなるために何ができるかを考えなさい。」となぜ一言も発せなかったのか。100円×20,000個=2,000,000円。たかだか200万円だ!200万ぐらい教師の給料でも出せるはずだ。え?出せない?金額的な問題でマネージャーに作らせたんだって?だとしたらこのマネージャーの奉仕は無料だとでも言うのだろうか。これぞみなさんが嫌うブラック企業の論理だ。若いマネージャーの一瞬は、そのくだらない仕事しかしていない君らのような教師の給料とは比較にならないぐらい価値のある時間だ。

「あいつは健気にかんばっとる。うんうん。」

どうせそんなことを言って周りの教師は問題視すらしていなかったのだろう。そんな価値観の教師がこの国にはたくさんいて、教育を行っているのだから空恐ろしい。

だからこそセンスのない善意は恐ろしい

動機が美しいだけで方向性が誤っていて結果が出なかったとしてもそれをよしとする。もしくは結果が出た場合に(他の理由の可能性が高いにも拘らず)美しい動機に原因を求める。学校ではテストの点よりもやる気という影も形もないものが主観的に評価され、効率性と結果の重要性は誰も論じない。我々は常にこうした行動原理で行動してきた。そして多くの場合、これらに対する批判を封じてきた。さらに言えば時に多大な圧力を以って潰してきた。

センスがあれば何の問題もないのだ。センスさえあれば結果も出るから。ただ、大きな問題として「動機が美しい」だけでその企みに乗ってくる人ほどセンスがない。なぜなら結局、感情だけで事象を評価しているから何が成功要因なのか過去から全く学んでいないからだ。

そろそろ、思考も近代化したらどうですか?

*1:島田紳助さんは素晴らしいお笑い芸人であると同時に素晴らしくインテリジェンスのある芸能人で、この国民性を見抜いてそれをビジネスにしていた。島田紳助さんは恐らく「漫才ではダウンタウンに勝てない」「しゃべりでは明石家さんまに勝てない」だから、ということであの手の路線に向かっていたのだと思う。ちなみに明石家さんまさんは自分の芸にストイックなのでブレることなくこれを逆に笑いに変えている。